萩原工業株式会社

萩原物語Story

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各種物語一覧

List of various stories

フラットヤーンが育んだ中核技術

『萩原工業』の歴史は、1962年、花ゴザのタテ糸をポリエチレンで代替することから始まりました。1960年代には、ポリエチレンやポリプロピレンが日本でつくられるようになり、『萩原工業』もコットン、ジュート、紙、藁のカマスといった天然素材の代替品として、ポリエチレンを素材としたモノフィラメントの生産を開始しました。その2年後には延伸テープの開発に成功。延伸テープを「フラットヤーン」と命名し、国内で徐々に浸透していきました。

1973年には、世界初のクロスシート一貫生産に挑戦。これが成功したことによって、業界の中で圧倒的なプライオリティを獲得できたことは大きな転換点にもなり、現在の『萩原工業』を支える中核技術となっています。

製造装置を自社開発することから生まれたエンジニアリング事業

現在、合成樹脂事業と並んで『萩原工業』を支えているエンジニアリング事業。このルーツは、製造機器の販売要請から始まります。1966年、台湾の麻袋メーカーから、フラットヤーン製造装置を購入したいという申し出があり、それに応えることから、機械メーカーとしての顔も持つようになったのです。技術流出に対する懸念もありましたが、創業者である二代目萩原賦一社長は、業務の拡大をねらって、申し出を受け入れました。このあと、製造機器の製作・輸出は事業として育っていくことになります。

また、フラットヤーンの生産部門から機械の製造部門へダイレクトに改善要望が出されることで、製造装置の完成度は飛躍的に高まっていきました。

「やるか、やらないか。」固定観念を捨てて動くのが萩原工業のスタイル

ビジネスの可能性を広げるために必要なのは、固定観念を捨て、動くこと。「できるか、できないか」ではなく、「やるか、やらないか」。既存製品を既存市場に提供することは、安定はしていますが、いずれ頭打ちになることが考えられます。一方、新規製品の開発は積極的に行っており、新規市場を獲得していますが、そこには多くの時間とコストがかかります。

そこで、新たな道筋として“新規市場”に“既存製品”を持ち込むことに可能性を見出そうとしている『萩原工業』では、見本市にも積極的に参加し、市場の声を拾い上げ、既存製品に新たな用途を見出せるよう努めています。他社との協業にも力を入れ、Win-Winの成果を獲得しました。

例えば、紅茶メーカーのティーバッグ。ネット部分は紙製なので、カットする際に微粉末が出ます。その課題を、超音波でカットすることで解決しました。超音波マシン製造会社と提携したからこそ実現できたビジネスです。

「変える」という意識の習慣化が開発力につながる

産官学の連携を念頭に置いたコラボレーションや、教育機関との連携も忘れてはなりません。過去には、岡山大学、広島工業大学、横浜国立大学の協力のもと、バルチップを完成させました。大学には現場がなく、『萩原工業』には事業部から独立したR&D部門がありません。その補完関係にもなり得ます。

教育機関との連携は学生にとっても実学を体験するいい機会創出につながります。学びの機会を提供することは企業として大切なこと。「気づきに優る学習はなし」という言葉があるように、学生、社員ともに新たな発見を得る有意義な取り組みでもあるのです。日々の営みから「変える」という意識を習慣化することが、新たな可能性を見出す力にもなるのです。

「おもしれぇ 直ぐやってみゅう」が新しいマーケットの扉を開く

「萩原工業を潰せ!」。そんな物々しい指令が聞こえてきます。何を隠そう、発信源は社内です。その真意は、それくらいの姿勢で仕事に向き合わなければ、革新的なイノベーションは起こせないということ。常に危機感を持ち、自分たちで考えざるを得ない状況をつくることで、一歩前へ、一段上に、進むことが期待されています。そして、向学心も必要です。

例えば、AI、IoT、セルロースナノファイバーといった先端技術を『萩原工業』の製品や技術にどのように落とし込むかは、社員自らの向学心がなければ実現は難しいでしょう。合成樹脂事業は4班3交代で回っていますが、AIやIoTを活用して省人化が可能となれば、人件費を増やすことなく生産体制の拡張、生産量の拡大が計れます。ノウハウが蓄積されれば、中国・青島やインドネシア・ジャカルタにも導入することもできます。省人化によるメリットは、コストダウン、生産量UP、品質の均質化など計り知れないでしょう。

21世紀の製造現場は、肉体労働ではなく、頭脳労働や管理作業を中心とした業務に変わりつつあります。人の仕事は、事前にリスクを感知してそれに対応することや、イノベーションや発明といった、頭で考えることが大半を占めるようになるのです。そのとき、私たち『萩原工業』はどうあるべきか? 19世紀型のものづくりではなく、21世紀型の“ことづくり”へシフトする勇気が必要になりそうです。変えるべき点、変えてはいけない点を踏まえ、社会や生活を支えるための供給責任を果たしながら、製品が「誰かの役に立っている」ことを確信できてこそ、21世紀型の新しい価値の創出が可能になると信じています。

創業者の口癖だった「おもしれぇ 直ぐやってみゅう」は、『萩原工業』で働く人の姿勢そのもの。この姿勢が新しいマーケットやことづくりに向かう推進力になっていくでしょう。

世界に「おもしれぇ」を届けることが「萩原工業」の使命

国内マーケットは、人口減少によって、さまざまな商品の需要が減少すると見込まれています。しかし、海外マーケットには開拓の余地が残されています。現在、『萩原工業』の売上全体の約25%が海外市場に拠るものですが、今後はさらに増やしていく必要性を感じています。

2024年、全世界14カ国で拠点を構えることになりました。例えば包材の国内マーケットは頭打ちですが、海外では事情は異なります。アメリカの大手スーパーマーケットでは野菜用の包材が採用され、大きな実績になっています。また、コンクリート補強繊維であるバルチップは、コンクリートの補強効果を高めることはもちろん、施工が簡便なため省力化にもつながる製品で、全世界に広がる可能性を持っています。

開発スタイルもマーケットインで、プロダクトアウトではありません。今後は今以上にニッチマーケティングの力が必要になるはずです。ニッチ戦略は宝の山。宝を発掘する眼力を養い、「おもしれえ 直ぐやってみゅう」の姿勢があれば、社員の誰もがイノベーションを巻き起こせる。それが『萩原工業』の力の源泉です。